2001/10/21

書評を書いていたら、自分のSF観の話になってしまったので、書評部分からその箇所をこっちに移しました。そういえば今年は“これはSFではない”論争や“SFの定義”で賑やかでしたねー。

SFは“現実という前提”が厳然として存在している物語だと思うのです。時代の思潮をSFが色濃く反映しているのは、そのためなんじゃないかなー。問題を誇張した形で問いかけ、茶化し、無視するといった操作を現実の理論で、読者の認識する現実世界に対してやってしまおう、読者は認識変換を楽しもう、というのがSFじゃないかなぁ、と私は思うのです。

そういう現実との関係性という観点から他のジャンルを考えると、ミステリーは理論の働きかける対象が物語世界で、ファンタジーは操作手段が現実の理論ではなく、ホラーは目的が人間の恐怖です。ミステリー・ファンタジー・ホラーとSFの境界が曖昧なのは仕方のないこと。なにを以て現実かと認識するかには個人差があるのですから。

手段である現実の理論にしても科学と決まっているわけではなく、論理の過程そのものや疑似科学・トンデモ仮説でもいいのです。仮想としての現実をSFは扱うのですから。だから超能力もアリ。(とはいえ、仮想の現実が生活としての現実感に置き換わるとカルトになるわけね)

どっちも広義のSFですが、私がSFとスペースオペラを区別しているのは、多分このSF観のせい。スペースオペラの目的が読者の認識する現実世界をいじることではなく、現実の理論で物語世界を楽しませようとしているほうに重心があるのですから。どちらをおかずにするかという姿勢の違いと言えばいいのかな。

ま、現実世界をいじられるのが楽しいのだから、私も病膏肓(笑)。

偶然見た今日の「知ってるつもり?」は結構まともでした。ちゃんとイスラームも取り上げていたし。ただ、何故イスラエル建国がアラブ諸国の反発を買ったのかという、肝心要の部分(第一次大戦時のイギリス二枚舌外交)が吉村作治氏のコメント20秒しかないのは問題かな。ラビン元首相中心でしたけれど、吉村センセがイスラーム側の解説に大奮闘。ガンバレー(大学で宗教学を習って以来、イスラームはわりと好き)。

購入:梶尾真治『かりそめエマノン』

読書:レヴィ=ストロース『悲しき熱帯 II』(4日目、全然読んでいない)、国立科学博物館編『日本の博物図譜』(ぺらぺらとめくる)、梶尾真治『かりそめエマノン』(一気読み)。