Diary 2003」カテゴリーアーカイブ

2003年の日記。

2003/05/15

取り敢えず、箱集めから始めようか、というところ。今日、ざっと見てみたところ、本をベトナム関係に絞っても、小さな段ボール箱で10箱にはなりそうでした。うーむ。

明日は某学会シンポにこっそり潜入予定(笑)。折角来日してもらう予定だった中国と台湾の研究者はSARS騒ぎで来られなくなってしまったそうです。いまの状況では広西に留学している(らしい)恩師はどうしているのかちょっと心配です。帰国しているのかなぁ。

2003/05/14

今現在、いかに新居の床に負担をかけずに資料を配置するかで悩んでいます。ええ、趣味の方の本は諦め気味。多少とも売るしかないようです。去年、区のバザーで20冊ほど出しましたが、今年はもっと売るかもしれません。古書の相場が暴落して久しい昨今、古書店で売るより、バザーで売った方がなんとなく気分が良いです。相手の顔が見えますから。

読書:桜井由躬雄『ベトナム村落の形成』(12日目、読了。ああいう結論だと、明命年間という時代がすごーく気になります)

2003/05/13

ここのところ、ちょっとプライベート学問から遠ざかっていましたが、そろそろ復帰します。というか、復帰しないと今度は引っ越しでえらいことに(汗)。ただ‥‥竹帛にUPするのは秋頃かも。

まぁ、準備している話題は現在2つ。ひとつは趙完璧という朝鮮人青年の数奇な運命(オチ有)と、もう一人はマリィ・フォールコンという300年ほど前の女性のお話です。前者は大学時代に偶然見つけた角倉氏関連論文に載っていた人物で、マリィは日・葡・タイの血を引き、ギリシア人と結婚した人物らしい。後者はまだ調べものが端緒についたばかりなので、もう少しかかるかもしれません(タイ語読めないし)。

読書:桜井由躬雄『ベトナム村落の形成』(11日目。じりじり読んでます)

2003/05/12

夜中の地震で鳥たちが怯えて大騒ぎでした。明かりをつけて覆いを取ると、目を潤ませて籠にへばりついています。取り敢えず落ち着くまで5分程度、付き添っていましたさ。

今度見つけた部屋は、下宿というよりは所謂メゾンです。洗濯機置き場もユニットバスもついています。部屋そのものは割合広いのですが、据え付け戸棚が高いところにあったりするので踏み台が必要かな、と考えています。あと、畳ベットが欲しいなぁ。

読書:桜井由躬雄『ベトナム村落の形成』(10日目。明命均田例の現実)

2003/05/11

下宿クエストな休日。で、下宿を決めました。まぁ、悪くない家が決まったと思います。地下鉄の駅まで7分なのが嬉しい。歩いて2分で夜遅くまで開いているスーパーもあります。商店街も歩いて10分程度。おまけに、家賃がこのあたりだと8万オーバーはざらなのに破格の7万円!

安い理由は簡単で、日当たりがちょっと微妙な築25年(改築5年)だからです。不都合な点は住んでみないとどうにも解りませんが、床は抜けないでしょう、多分。

2003/05/09

社用で自動車を使う話が出ています。ある人が、私に「免許持っているよね?」と質問してきましたが、丁重にお断りいたしました。「運転は数年やっていませんし、免許を取ってこのかた、両手で数えられるほどしか運転したことがありません。極上のスリルが味わえますよ」と(笑)。

車の運転をするくらいなら、徒歩の方を選ぶ自分に気が付いたのは免許を取った後のことでしたっけ。

最近のお気に入りCDはAnne Vada(アンネ・ヴァーダ) & Aki Fukakusa(深草アキ)“Solrenning”(黎明)です。殆ど話題にならなかったCDですが掘り出し物。北欧の民謡に秦琴のフュージョンもさることながら、ヴォーカルのアンネ・ヴァーダが美声で聞かせてくれます。

BGMとして、ゲール語(?)のクラナドやポルトガル語のマドレデウスなど言葉の意味が解らない歌が私は好きです。日本語や英語だと気が散ってしまいますから。

読書:桜井由躬雄『ベトナム村落の形成』(9日目。嘉隆均田例についてとか)

2003/05/08

久々のパン食であった。この数日、麺と弁当とシリアルが続いていたので、パンをどうも身体が欲していたらしい(笑)。そして、常駐先近所のスーパーでこっそり売っているサラダが、コンビニサラダの半額であることに気が付いてしまいました。お買い得情報ひとつゲット!

読書:桜井由躬雄『ベトナム村落の形成』(8日目)

2003/05/07

歴史の本を読んでいると、時折、頭にガツンとくる経験をすることがあります。「以上、証明終わり」とでも付け加えたくなるような美しい論理を示されることはざらです。結論のあまりのシビアさに人間集団の不思議に魅せられることもあります。

ただ、決して忘れてはならないのは、社会方程式のかけらを自分の頭の中で組み立ててゆく作業は、世界を構築する作業であるということです。それは歴史家の分析ではなく神の視点に堕落する可能性を含んでいます。歴史を学ぶ快楽はそこに由来し、神の視点に耽溺した結果として史観と呼ばれる思考パターンが発生するのです。

まぁ、つらつらと書いてしまいましたが、自己の内部に世界を構築する作業は決して否定されるべきものではありません。自分の望む世界に安住するか、より精緻な世界を求めて切磋琢磨し、他者と協力し合うことができるか、そこが分水嶺といえます。

読書:桜井由躬雄『ベトナム村落の形成』(7日目)

2003/05/06

愉快なことはやがて忘れてしまいますが、不快なことはなかなか忘れられない、というのは理由があるのでしょう。例えば、愉快なことは早く忘れないと次の楽しいことを見つけるために行動しなくなる、とか。不快なことは自らの鏡であるから、忘れられない、とか。ここ数日の私の怒りは自らの不快な点でもあると、漸く考えられるようなりました。ぶちまけまくった友人達には申し訳ないです。

帰宅したら、母の入れ歯がテーブルの上にぽつん、と。なんだか、日常の不条理を垣間見てしまった気分でした。まぁ、きっと入れ忘れただけでしょうね。

読書:桜井由躬雄『ベトナム村落の形成』(6日目。地道にまだ読んでいます。佳境)

2003/05/04

今日は映画を観て、飲みながら友人のMちゃんに引っ越しのコツを教わっていました。引っ越しってお金が思ったよりかかるものです。おまけに家財道具が購入しなければならない。何より部屋を探さなければ。これから来月にかけて忙しくなりそうです。

『二つの塔』はガンダルフの漂白っぷりと、アラゴルン、レゴラス、ギムリの基礎体力が印象的でございました(笑)。流石に昨日は「むぅ」と思ったので、今日のようにさっくり気分転換できると嬉しいです。