2008/04/27

昨日の文章で、間違いや誤解されやすそうな文があったのでちょっと修正しました。あと追記。

プロパガンダ映画の個人的な判断基準は、「敵役が(制作国の価値基準で)排斥すべき属性を持っている」こと、「それらは映像で表象され、言葉による説明が少ない」こと、そして何より「娯楽に徹していること」です。観客が寝てしまうような映画や、困惑するような映画はプロパガンダとしては失敗作か、そもそもプロパガンダではないということです。

日本でのチベット問題の運動は“祭り”に変質してしまったようです。このことはチベット自身にとってマイナスかもしれない。当事者だけではなく、にわか関係者まで考慮して事態をコントロールしなければならない負荷を考えるとダライ・ラマの体調が心配です。歳だからねぇ。

読書:家島彦一『海域から見た歴史』(7日目。ようやく第2部突入。全部読むにはまだまだかかりそう)