歴史の本を読んでいると、時折、頭にガツンとくる経験をすることがあります。「以上、証明終わり」とでも付け加えたくなるような美しい論理を示されることはざらです。結論のあまりのシビアさに人間集団の不思議に魅せられることもあります。
ただ、決して忘れてはならないのは、社会方程式のかけらを自分の頭の中で組み立ててゆく作業は、世界を構築する作業であるということです。それは歴史家の分析ではなく神の視点に堕落する可能性を含んでいます。歴史を学ぶ快楽はそこに由来し、神の視点に耽溺した結果として史観と呼ばれる思考パターンが発生するのです。
まぁ、つらつらと書いてしまいましたが、自己の内部に世界を構築する作業は決して否定されるべきものではありません。自分の望む世界に安住するか、より精緻な世界を求めて切磋琢磨し、他者と協力し合うことができるか、そこが分水嶺といえます。
読書:桜井由躬雄『ベトナム村落の形成』(7日目)