なんとなくネットで『新撰組!』論議に辿り着き、「歴史は男の愛人であり、女のロマン(ス)である」という言葉をふっと思いつきました。まるでストーカーのように自分の歴史観に固執している男性があまりに多いので。
ある意味、歴史って自分が神様になった気分(一種の自家中毒的エクスタシー)との戦いなのですよ。材料を集めて過去の事象を合理的に解析する、その瞬間、ミステリーの探偵役のように過去(とそれに繋がる現在)に対して神様の立場に立つことができるのです。「史実と違う、史実によると‥‥だからあのシーンは間違っている」という、たかが一ドラマに対して執拗に繰り返される台詞も、義憤という隠れ蓑をまとって「自分が正しいと認めさせたい」という思惑が見え隠れしています。なんて言うか、権力のにおい。オレにはこんなに知識があるのだからオレに従え、ってね。その誘惑に溺れないように努力して、他者を知ることをエンジョイするのが歴史家という存在なのです。きっと。あ、“女のロマン(ス)”という部分は以下略で。多分歴史好きの女性については9割がた当てはまるかと(笑)。
昨日、大学の図書館から、南宋やモンゴル史関係を中心に資料をコピーしてきました。元代江南行省の人的構成に関する論文など、結構、目から鱗な発見があって面白いです。